第1回ほっかいどう学インフラツアー

砂子炭鉱露天掘&新桂沢ダム 現場視察報告

(主催:国土交通省北海道開発局札幌開発建設部)


令和2年10月10日(土)に、北海道開発局札幌開発建設部主催によるほっかいどう学会員向けのインフラツアーを開催されました。今回は、コロナ禍の中での開催と言うことで、学校関係者の会員に絞ってご案内をさせていただきました。


開催概要

主催北海道開発局札幌開発建設部
協力NPO法人ほっかいどう学推進フォーラム
開催日時10月10日(土) 9時集合~16時解散
参加者NPO法人ほっかいどう学推進フォーラム会員(教育関係者6名)
主な見学先①砂子炭鉱三笠露天掘現場視察
②新桂沢ダム現場視察
③旧幌内炭鉱付近視察

視察報告

1)砂子炭鉱三笠露天掘坑


一言で言えば、スケールの大きさに圧倒される見学でした。

約150ヘクタールの露天掘り、とにかく広大。これを一度に視野に入れるのは不可能です。世界にはまだまだ広大な露天掘りもあるのでしょうが、わが北海道でこんなすごいことをしているとは驚きでした。

首が痛くなるほどの見上げるような巨大重機の数々、細やかな安全への配慮の中で、慎重かつ豪快に土石を動かします。ひとすくい7トンの超大型バックホー、60トン積みの超大型ダンプトラック等々迫力満点。これらの重機を駆使して約40人の職員で今年は約15万トンの石炭を生産する見込みとのでした。

石炭を含む炭層の薄さに驚きました。掘り進んだ斜面を見ると石炭を含んだ黒い炭層はわずかしかありません。聞けば、13トンの土石を動かして、ようやく1トンの石炭を得られるぐらいなのだとか。この薄い炭層も丁寧に剥ぎ取り、製品として出荷するそうです。

こうした壮大な光景を見ながら、昔のことを想像してしまいました。

昔はこの薄い炭層にたどり着くまでにも、地表から穴を掘り進んでいたのですから信じられません。何しろ、深ければ深いほど熱と圧力によって植物が良い石炭が手に入るのです。ここの露天掘りは地表から約160メートルまで掘り進んでいました。旧幌内炭鉱は、深い立坑を掘り、1989年の閉山時には地下1200mで採炭していたそうです。なんとも気の遠くなる深さです。ちなみに、ここの露天掘りの炭層からは昔使っていたトロッコ等が出てくることもあるそうです。

▲想像以上に薄い炭層に驚く
▲巨大な重機が、安全第一で非常に繊細な作業を行っていました

驚きは続きます。

まず、露天掘りが終了した後には、そこを埋め戻して元通りに復元するということです。しかも、市町村の境界線に変更が起きないよう、元々の稜線通りに埋め戻すのだそうです。さらに、元々の植生と同じように緑化復元も行うというのですからびっくりです。自然を少しでも損なうことが無いように、そしてまた、一件の事故もないように細心の注意のもとで作業が進められているのがよく分かりました。

ドローンが当たり前のように積極的に活用されているのも印象的でした。最新型のドローンで、徹底的な測量を実施、地形データを3次元化し、そこにボーリング調査のデータを加えて炭層データを可視化。つまり、どこをどれだけ掘れば良いかが分かるというのです。「炭鉱」は、もはや最先端の技術の場であることがよく分かりました。

思えば、胆振東部地震のブラックアウトの時に大活躍したのがここの石炭と石炭発電所でした。地球温暖化という大問題の中で、石炭を取り巻く環境は大変厳しい状況です。しかし、地元にこうしたエネルギー源を持っている心強さを改めて感じることができました。北海道には、もともと約100億トンの石炭があると考えられています。これまでに採炭したのは、わずか9億トン。つまり、まだ91億トンの石炭が眠っているのです。今後の採炭には多くの困難があるものの、なんだかほっとした気持ちになりました。

▲巨大な重機に圧倒されました

2)新桂沢ダム


日本の食料生産を支える石狩平野。今は、見渡す限りの水田と畑が広がっていますが、かつては、言わば湿原と言ってもよいほどの状態だったといいます。ここを切り拓いた開拓民の辛苦は言うまでもありません。毎年のように発生する石狩川の洪水。この石狩川の治水は、正に北海道の命運をかけた闘いであったのだと思います。

この石狩川水系に昭和32年に作られたのが桂沢ダム。北海道で初めての多目的ダムです。つまり、水害を防ぐだけでなく、田畑や遠く石狩の工業団地、そして周辺市町村の飲用水の確保という重責を担うダムなのです。

昭和56年(1981年)の石狩川氾濫(観測史上最大規模の大洪水)を受けて、石狩川水系の治水対策が見直されましたが、その1つがこの桂沢ダムのかさ上げというわけです。

「かさ上げ」というのは、元々のダムを残して、そこに高さ10.9メートルかさ上げするということです。環境を守りながら、少しでもコストを削減し、さらには早く治水の効果を実現するためにこの方法が採られたそうです。これで、ダムの総貯水量は1.6倍になるそうです。

参加した教員のみなさんは、ダムを間近に見たのは初めての方が多く、札幌開発建設部のみなさんの説明に興味津々でした。わたしたちの当たり前の日常を静かに守るダム。その裏側にあるものが見えてきた見学となりました。

これだけの規模のインフラの整備には数十年単位の時間がかかることも再認識。環境への配慮はもちろん、コスト、技術…様々な要素を計算に入れながら作っていくのだということがよく分かりました。

▲物言わぬダムがわたしたちの日常を支える

3)旧幌内炭鉱周辺へ


最後に、時間の無い中でしたが、旧幌内駅、旧幌内炭鉱周辺へと向かいました。日本遺産炭鉄港の原点にご挨拶です。

ご存じの通り、幌内鉄道は、明治15(1882)年、北海道で最初、日本で3番目に作られた鉄道。石炭を小樽の手宮駅まで運び、そこから船で本州へ輸送したわけです。

旧幌内駅は、北海道鉄道発祥の地を記念し、今は、三笠鉄道村として多くの人たちが楽しめる場となっています。

▲三笠鉄道村(旧幌内駅)

そこから、歩いて旧幌内炭鉱変電所、そして幌内神社本殿跡をみんなで巡ってきました。すっかり森に囲まれ静かな空気を辺りが包みます。

▲旧幌内炭鉱変電所

幌内神社本殿はすっかり姿を消し、本殿への石段や、石の灯籠等が寂しく残るのみ。旧抗口も近くにあり、この辺一帯が、正に近代日本の熱源だった訳です。しかし、今やの気配はまったくなし。苔むした本殿跡、その冷え冷えとした静寂さに、ただただ息をのむばかりでした。

「お正月にはここは初詣の人たちであふれかえっていたのですが…」としみじみ語ってくれたのは、案内してくださった砂子組の近藤さん。子どもの頃、この幌内にお住まいだったそうです。記憶に深く残る幌内全盛期の賑やかさ、その影にある悲しみの数々、たくさんのお話に聞き入ってしまいました。

昔の炭鉱には、本当にいろいろな人生が交差し合う場であったのだと思います。命がけの仕事に向かった人たちがいたからこその今の平和と豊かさであることを思う時間となりました。

▲朽ち果てた旧幌内神社本殿跡

このツアーに参加した先生たちは、「初めて知ったことばかり、参加して本当に勉強になった。」「なんとなくは知っていたが、実際の様子を見て、改めて北海道の魅力、奥深さを知ることができた。」「また機会があれば参加したい」との声をいただきました。

 ツアーを主催し、わたしたちの矢継ぎ早の質問にも丁寧にお応えいただいた北海道開発局札幌開発建設部のみなさん、砂子組のみなさん、本当にありがとうございました。