ほっかいどう学連続セミナー:第5回

北海道胆振東部地震から3年 防災教育を再考する

令和4年2月5日(土)、当法人の中核的な活動の一つとして北海道各地区で開催する「ほっかいどう学連続セミナー」の第5回連続セミナー「海道胆振東部地震から3年 防災教育を再考する」が開催されました。新型コロナウィルス感染症拡大防止の観点から、完全オンラインでの開催となりましたが、教育関係者、社会資本整備関係者をはじめ、約130名の方にご参加いただき、活発な意見交換が行われました。
(※文中の役職は開催日当時のものです。)

開会にあたり、主催者を代表して、新保元康理事長より開会の挨拶、趣旨説明などが述べられました。

1.開会挨拶・趣旨説明


特定非営利活動法人 ほっかいどう学推進フォーラム 理事長 新保 元康

当法人も設立から3年目を迎え、会員の皆さまに応援をいただき活動を推進しています。本日も皆様のご協力により、このコロナ禍においても無事、開催することができ、感謝申し上げます。ほっかいどう学連続セミナーは全道各地で様々なテーマで開催させていただいていますが、最大の特徴はインフラを支えている建設・行政関係の皆様と、北海道の未来を担う教育に携わっている皆様とが一同に会する場という点です。広大な北海道の大地には世界が憧れる魅力が詰まっています。一方で、この魅力はインフラの支えがあってこそですが、それが教育の場に充分に伝わっていません。また、北海道の未来創りという視点で考える機会が少ないという問題意識もあります。本日は3年前の北海道胆振東部地震の被害を今一度思い起こし、皆様と一緒に議論し、未来につなげていきたいと考えています。

開会挨拶 参加者の様子

続いて、馬渕 達也氏(国土交通省 北海道開発局 室蘭開発建設部 港湾農業水産担当 次長)より、北海道胆振東部地震の復旧復興に向けた取組をご紹介いただきました。

2.発表①北海道胆振東部地震とは 3年の復興の歩みを振り返る


馬渕 達也氏(国土交通省 北海道開発局 室蘭開発建設部 港湾農業水産担当 次長)

平成30年9月6日に発生した「北海道胆振東部地震」では、北海道内で史上初の「震度7」を観測し、胆振東部地方を中心に各地で甚大な被害をもたらしました。震源地である厚真町では、明治以降最大の大規模崩落が発生し、地震発生直後に起きた北海道全域の停電「ブラックアウト」により、断水や交通機能の麻痺など大きな支障が生じました。本日は被災地の一日も早い復旧・復興に向けた北海道開発局における活動記録をご紹介します。

地震発生後、北海道開発局ではただちに職員を参集し、災害対策本部を設置。被災地の緊急点検、災害情報の収集、被災自治体支援のためのTEC-FORCE(緊急災害対策派遣隊)を派遣しました。また、防災ヘリで被災状況を調査し、リアルタイムで被災状況を提供した他、建設業者の協力を得て緊急車両を通行可能とするための「道路啓開」を実行し、被災からおおむね5日以内に、地域の最低限のアクセスを確保しました。道路だけでなく、河道閉塞した厚真川の被害拡大を防ぐため重機による流木や土砂の撤去など、過酷な災害現場の中で昼夜を問わず緊急復旧に取り組みました。港湾関係では苫小牧港で岸壁及びエプロンの沈下・ひび割れなどの被災が発生したことから、復旧工事を平成31年3月に開始し、令和2年7月に完了しました。また、厚真町を中心として発生した土砂災害対策として、大規模な河道閉塞が発生した日高幌内川等の緊急的な砂防工事に着手し、早期完成を実現しました。さらに恒久対策として令和5年度までの完成を目指した砂防事業を国の直轄事業として実施しています。農業に関しては、厚真ダムやパイプラインが被災しましたが、暫定的な用水確保を行い、令和元年春から営農が開始され、令和3年には順調な水稲の生育が確認されています。

こうしたハード面の復旧支援以外にも、被災地支援として、被災自治体の技術職員をサポートし強化するため、本省及び開発局の幹部職員の派遣、地元に密着したサポートとしてリエゾン(現地情報連絡員)の派遣、災害対応のスペシャリストであるTEC-FORCEの全国からの派遣等により、被災地の早期復旧に取り組みました。各地方整備局も救援物資の運搬や入浴支援などの支援活動に協力しました。他にも産業支援として海外輸出を通じた復旧支援や北海道の魅力を海外にPRする活動、観光支援など幅広い活動に取り組んでいます。

以上のような支援活動を通じてハード的な社会基盤の復旧は一部完了しましたが、復興に向けては道半ばであり、被災地の方々が一日も早く安心できる暮らしを取り戻していただくために、ソフト面も含めた支援活動の継続が必要不可欠です。開発局としては、今後も関係機関と連携し地域に寄り添いながら災害に強い地域づくりに取り組んでまいります。

3.ミニ討論①


  • 3日間で道路の通行止めを解除したというのは凄いこと。(新保理事長)
  • 緊急時に迅速に対応ができるよう、地元の建設業者と開発局とが事前に災害協定を結んでいるというのは勉強になった。災害時の職員の参集に際する安全確保はどうしているのか。(学校関係者)
  • 事前にルートを定めており、安否確認も携帯等で行うよう決めている。(開発局)
  • 教員がすべき訓練をしていないと感じている。(学校関係者)

続いて、井内 宏磨氏(北海道教育庁 胆振教育局 義務教育指導監)より、前職の学校長の立場から震災の体験とそれに基づく防災教育の在り方についてお話いただきました。

4.発表②北海道胆振東部地震を超えて


北海道教育庁 胆振教育局 義務教育指導監 井内 宏磨

本日は前職である厚真町立上厚真小学校長の立場から北海道胆振東部地震の体験と実践に基づいて、お話をさせていただきます。

上厚真小学校は、当時、児童数95の単学級の学校です。震災後、学校が避難所となり、そこでの子どもたちの様子を見るにつけ、本当の「生きる力」とは何かを改めて考えさせられました。そこで、上厚真小学校の育成を目指す資質能力を「あいさつ,返事,整理整頓【不易】、主体性,協働性,実践力【流行】としました。そして、地域の復興,発展に主体的に取り組む人材を育成し,家庭,地域にお返しすることを復興のゴールとしました。

震災の翌年から小中一貫教育がスタートし、取組の柱の一つである「ふるさと教育」には防災教育も位置づけられ、地域の教育資源を積極的に活用しました。育成を目指す資質・能力は校区の中学校とも共有し、その育成を目指した一貫教育も始まりました。その一つが学校運営協議会との共同事業として実施した「あいさつの日」です。実施にあたってはチラシを作成し、この活動に託す思いを記載しました。「名前は知らないけども,顔は知っている,声をかけ合える。そんな関係が地域の防犯,防災,福祉につながるのではないでしょうか?その輪に,子供たちを加えていただけませんか?(中略)」。

子どもたちの地震への恐怖感が防災教育のハードルでしたが、震災の記憶をなくしたくないという想いで、震災2年目には9月6日を上小防災の日と定め、避難訓練始め、全学年で防災学習を開始。5年生は被災現場に実際に出向き、被災状況や対策を体験的に学んでいます。子供たちが学んだ防災は、家庭へ伝わり、子供たちが防災に取り組む姿は、地域に伝わります。結果的に学校で防災教育に取り組むことが、家庭や地域の防災意識を高めることに貢献できるのではないでしょうか。

ここからは私の考える防災教育についてお話します。防災教育で身に付けさせたい資質・能力は単に知識だけではなく、災害の場面で実際に行動を起こす力です。あらゆる災害に対応できる力が必要です。思考力や判断力はもちろん、いわゆる非認知応力が非常に大切だと考えています。逆境をしなやかに生き延びる力、レジリエンスという言葉も最近よく聞かれます。情報を適切に読み解き活用する思考である批判的思考も必要ですし、他者への共感性やポジティブに前を向く楽観性も大切です。こうした力は防災学習だけで身に付くものではありません。本校が掲げる主体性、協働性、実践力を中心に、日常の授業や生活指導、そして体験活動の中で育んでいくことが重要です。そのほうが汎用性の高い資質・能力が身に付くと考えています。つまり、上厚真小学校の教育活動全体が大きなくくりの防災教育なのです。震災を経験し、将来の予想が困難な時代を生きる子供たちに必要な力とは何か?を考えた末の上厚真小学校の結論です。

5.ミニ討論②


  • 胆振東部地震の際に臨時休校にすることをアナウンスする際に一斉メール配信を初めて使用した。そこから地域にメール配信サービスが一気に広まった。(学校関係者)
  • 平成28年の台風の際に大きな学校が避難所に指定されたが、市役所職員はどこに何があるかがわからないため、結局学校職員が対応に当たる必要があった。(学校関係者)
  • 東日本大震災の話を聞いたとき、地域と学校が普段から繋がっていた学校は避難所運営がうまくいった。学校行事などで学校に理解があったことが上手くいった理由と聞いたことがある。(学校関係者)
  • 学校の近くに先生が住んでいないケースが多い。避難所に学校職員がいなくても地元の役場の方が対応できる体制づくりが大事であると感じている(学校関係者)。
  • 同感。避難所開設BOXを作成し、名簿や筆記用具、道具の場所などがわかるようにしている。(井内氏)
  • 行政と学校とのコミュニケーションの悪さを感じている。(新保理事長)
  • 学校も行政も人事異動が多いと思うが、防災対策はどのように引き継いでいるのか。(学校関係者)
  • 札幌市内の各学校では防災マニュアルが常備されている。(学校関係者)
  • 石狩市では防災ガイドや虎の巻のようなものを作成し、地域と一緒に防災力を高める取り組みを実施している。学校と地域とが一緒に避難し、避難所運営の訓練も実施している。(建設業関係者)

続いて、三松 靖志氏(NPO法人有珠山周辺地域ジオパーク友の会事務局長)より、地域に自然のダイナミズムと災害の記憶を語り継ぎ、防災活動を続けるジオパーク友の会の活動をご紹介いただきました。

6発表③防災から地域創造へ ジオパーク友の会の活動から


NPO法人有珠山周辺地域ジオパーク友の会 事務局長 三松 靖志

先祖の三松正夫は壮瞥村の郵便局長でしたが、1910年有珠山噴火を機に火山に興味を持ち、1944年昭和新山噴火の際はその様子を絵にかいて記録を残しました。また、何も道具がない時代に定点観測によって昭和新山の隆起の様子を記録し、世界で初めて、隆起して大きくなる火山の存在を実証した人物となりました。三松正夫は、有珠山噴火観測の際に東京大学の大森房吉先生に「火山噴火に遭遇した者の責務は、その時あった事の詳細を客観的・科学的に観察し、次期噴火の防災に資する事である」と教えられていました。つまり、「子孫に正しい情報を正確に伝えること。」これが洞爺湖有珠山ジオパークのガイド活動の原点です。そしてこの活動を支えているのが洞爺湖有珠火山マイスター、「災害の知識を持ち、判断し、行動できる住民」。「顔の見える関係を保ち意思疎通できる住民」、「何があったかを学び伝えることができる住民」です。住民が主役でないと災害の記憶は廃れてしまいます。彼らは、平時にはガイドを行っていますが、いざという時に、率先避難者として地域の避難を促す役割を担っています。また、地元の小学生を対象に減災文化伝承のためのガイド活動も実施しています。火山という危険地帯にあえて子どもを連れていき、地球のダイナミズムを体験させることが重要です。人間の都合で自然に向き合っていると痛い目にあいます。

群馬大学片田敏孝教授による防災教育には非常に感銘を受けました。中学生に徹底的に防災教育を行っていました。東日本大震災では「想定に捉われるな」「最善を尽くせ」「率先避難者たれ」という教授の教えを守り、率先して住民の避難を誘導し99%が助かりました。印象深かったのは、「たった一度の津波でこの釜石の海を嫌いにならないで」その上で、「いざという時自信をもって逃げられる君であれ。」という教授の教えでした。

爺湖有珠山ジオパークでは三陸被災地訪問、雲仙普賢岳火砕流被災現地訪問ジオツアーの他、火山の素晴らしさとその怖さを子どもたちに伝える「壮瞥町こども郷土史講座」を1883年から続けています。減災のテトラヘドロン(正三角錐)という概念があります。防災は「住民」「行政」「科学者」「メディア」の意識、認識、情報の共有の掛け算で成り立つという考え方です。これを提唱しているのが岡田弘先生であり、「この100年の間に壮瞥町が行ってきたことは検証されている。新しい時代に何が必要なのか?それはチームワークである。21世紀を生き抜くためによく学び、語り、共に行動することが何より重要なのだ。」と仰っています。最近はリモートワークで一方通行の伝達になりがちですが、やはり双方向で互いに顔が見える関係での連携が重要だと思います。

7ミニ討論③


  • 空知でシーニックバイウェイの活動を行っている。地域によって災害に対するリスクが違うが、互いに助け合い、長い目で見て連携できる体制づくりの重要性を再認識できた。(建設業関係者)
  • 中学生が現場に勉強に行かせていただいた。人に会って、現場で話を聞いて見て触れてという実体験は子どもたちの記憶に強く残る。(学校関係者)
  • 教育旅行のアレンジをしているが、「災害」というテーマでは何を子どもたちに見てもらえればいいのかが、難しい。アドバイスがあれば。(旅行業者)
  • 事前にどういう目的意識をもっているか、カリキュラムに位置付けるのかで、本物の深さが変わってくる。地理学的視点など、前年度から指導計画とセットで先生と話し合うと実のある、子どもの心に迫る教育旅行になるのではないか。(学校関係者)
  • 災害で被害を受けるのはインフラだけではない。地域の人々をいかに守るか。地域全体で考えていくことが重要。自然には災害もあるが、恩恵もある。自然との共生をどうするのか、深みが出た。面白い視点をいただいた。(建設業関係者)

8閉会


災害一つをテーマに様々な立場の方と一緒に学び合う機会はこれまでありそうでなかったものです。NPOほっかいどう学は今後も、分野を超えて皆様を繋ぎながら、未来の北海道創りに貢献していきたいと考えています。コロナが落ち着きましたら、ぜひ、直接皆様とお会いし交流しながら、勉強させていただきたいと考えています。本日は長時間本当にありがとうございました。